No.387 「韓国日報>イ・スヨン リメイクアルバム『別離贈り物です』」 2004.01.31
イ・ムンセが歌った『光化門恋歌』も良いが、この頃イ・スヨンの声で流れ出る『光化門恋歌』はイ・スヨン特有の繊細な声が与える
また別の味がある。雪積もる通りと行き違った愛を描いたM/Vのイメージと相まって、この歌は索莫としている光化門の通りを愛の思い出が埋めている美しい曲としてまた刻印させた。
去る年末MBC歌謡大賞で大賞を受けてアンコールソングを歌うことができないゾングドロポングポング泣きをこぼし出したイ・スヨンが、日本活動のためにしばらく韓国を離れるため、リメイクアルバムを出した。
イ・スヨンの声が与える魅力以外にも30、40代が抱える思い出と郷愁に訴える卓越な選曲で更に大きな愛を受けている。
粹な編曲とオーケストラ演奏が与える暖かさも感じることができる。『光化門恋歌』以外にもペ・インスクの『誰でもそんな風に』、ヤン・グフィンの『愛、その寂しさについて』などが収められている。
イ・スヨンは2月7、8日慶煕大・平和の殿堂でアデューコンサートを最後に日本に発つ。
No.386 「イ・スヨン 美しい『アデューコンサート』」 2004.01.30
http://www.newsis.com/
だんだらに五色の花びらが舞台はもちろん客席まで飛び散る。
そしてどこかから(風が)吹いて来るせいで花びらが舞って、その時イ・スヨンが舞台の上に飛んで入る。
歌手イ・スヨンの「アデューコンサート」場面は、こんな風に始まる。
イ・スヨンは2月7〜8日の両日午後7時、慶煕大学校平和の殿堂で「アデューコンサート」を行う。
この日は本格的な日本活動のための最後のファンとの出会いだ。
イ・スヨンの今度の公演では、1集から5集は勿論、最近発売された5.5集に収録された曲の中から選曲作業を行い、イ・スヨン流伝統バラードと多様な編曲と演奏方式で、また別の魅力を見せる計画だ。
イ・スヨン側は「去年12月のクリスマス公演の時とまったく同じことを繰り返す、アンコール概念ではない公演場入れ替えを含めて24人編成のオーケストラと30人余りの振付チームなど大量の物的、人的資源を投入した」と明らかにした。
今度のコンサートでは、観客と一緒にできるように多様なイベントも準備した。
「ラブラブバレンタイン」コーナーを作って、素敵なカップルのためのカップル席を用意し、トブエンターテインメントホームページに、イ・スヨンに言いたいことにリップルを月か。「別離と告白に関する率直に淡泊した文」「胸がじ〜んとする事情」「面白い事情」を申し上げるファンを対象に抽選を通じてふんだんな贈り物を提供する。
No.385 「YBMソウルアルバム、イ・スヨン5.5集10万枚突破」 2004.01.30
http://www.inews24.com/
YBMソウルアルバム(代表ハム・ヨンイル)は、12日に出荷されたイ・スヨン5.5集『Classic』が17日目の29日現在10万758枚(CD
6万8366枚, MC 3万2392枚)の販売高を記録したと30日明らかにした。
今度発売されたイ・スヨンの5.5集は、歌謡の名曲をリメイクしたもので、タイトル曲であるイ・ムンセの『光化門恋歌』、イ・ジヨンの『愛が過ぎ去れば』(?)、ピノキオの『愛と友情の間』、心受峰の『あの時その人』などバラードとソウル、フォークそしてトロットまで多様なジャンルが収められている。
これは去る8月末に発表した5集『This Time』が販売33万枚(CD,
MC, DVD包含)を突破したことに引き続いており、全般的な不況を経験しているアルバム市場で非常に鼓舞的な事だと会社側は説明した。
イ・スヨン5.5集を売り出したYBMソウルアルバムは、共同流通会社であるソニーミュージックコリアと一緒にイ・スヨン5.5集アルバムが無線及び有線インターネットに複製及び配布されることに大韓デジタル流通権を持って、デジタル新規事業及び流通からの追加受益を得るようになる。
No.384 「[イム・ジンモのミュージックリサーチ] リメイクは世代を繋ぐ」 2004.01.30
http://www.etnews.co.kr/news/detail.html?id=200401270060
もうずいぶん前からの仕事だが、誰でも聞きなさいと作るアルバムにも世代差が存在する。
大衆音楽の性格の中ひとつの世代統合の機能でますます遠ざかるのだ。
大人たちは大人の音楽だけが好きで、若者達は親の音楽がゾルリンダであり黒人音楽のみを
立ち込めて回る.お父さんと息子が一緒に楽しむことができる大衆歌謡があまりないということは切ない事だ。
大衆歌手公演場に行って見れば、このような世代的分離と敵対現象を直接確認することができる。
この頃に人気を享受する公演場には10代の少女たちのわめきだけが一杯だ。
大人たちの中でたとえ少し行って見たい心があっても、一面若者達だけうようよするから
「照れくさくも」行きにくいと打ち明ける。それで年を取った音楽ファンたちは、自分らが好きだった
往年の人気歌手の舞台を尋ねるしかない。自然と「大人別に子たち別に」になる。
こんな状況で新旧世代の音楽的異音の間役目をすることがまさにリメイク音楽だ。
今盛んに人気を享受する歌手があの昔に流行った人気レパートリーを歌うのだ。
それでは新世代も自然に上世代の音楽を聞くようになって、大人たちは新曲よりはずっと親しみを
感じるようになる。実際にFin.k.l の『あなたは分からないの』と言う新世代がオリジナル歌手が
ヒェウンという事実が分かるきっかけになったし、大人たちは「あの子たちがヒェウンの歌を
全て歌うのね!」して嬉しさを表したと言う。
この頃歌手たちがリメイクバージョンをアルバムに必ず一つずつ入れる理由だ。
初めから丸ごとリメイクにしたアルバムを構えた歌手たちも多い。今までリメイク特集を出した歌手は
チョ・カンウ、イ・ウンミ、カン・サネ、チョ・ソンモ、キム・テヨン、自転車に乗った風景、ハン・ヨンエなど
先後輩を問わず数え切れない程多い。
リメイクのお陰で『美人(シン・チュンヒョン)』、『おかっぱの髪』(チョ・ヨンピル)、『花園で』(チョン・フニ)、
『様は遠い所に』(キム・チュジャ)、『茨』(詩人と村長)などは新世代の間でアピールし、オリジナル歌手が
再び注目されたりした。
リメイクがとても有り勝ちになって見ると、コマーシャルで流れるという批判もあるもののそれが新旧世代の
感性を引き継ぐ仮橋役目をすることは否認することができない。
従って、意図が純粋でばかりしたら、いや過剰コマーシャル企画の足にだけないならリメイクより
割れた二つの世代を縛ることができるこれ以上の效果的な接近法もない。
2003年最高人気歌手に輝いたイ・スヨンが幕『クラシック』と言うタイトルのリメイクアルバムを
出した。そこにはシン・スボンの『あの時その人』、ペ・インスク(パールシスターズ)が歌った『誰でもそんな風に』、
キム・ハクレの『私が』、イ・ムンセの『光化門恋歌』、チョ・カンウの『沼』などが「イ・スヨン風バラード」とまで言われる
彼女のこぢんまりしている感性ボーカルに再解釈されている。オリジナル歌手たちが70〜90年代にわたって
男女とジャンル不問という点でイ・スヨンの自信感が引き立つ。
イ・スヨンの10代ファンたちが聞いたら、それで親にレパートリーについて問うたら、大丈夫な”対話”
の瞬間になるように見える。もちろんオリジナルに濡れた大人たちは『誰でもそんな風に』『あの時その人』などは
味が不足だと言うかも知れないが『私が』が証明するように、個性を新しく付与しようとするイ・スヨンとプロデューサ
MGRの努力は評価を受けるに値する。すべて去って聞くのが良い。
No.383 「イ・スヨン アデュ〜」 2004.01.30
http://www.hani.co.kr/
国内活動しばらく折って日本舞台踏む
来月7〜8日アデューコンサート
去年は確かにイ・スヨンの年だった。去年一年、全4曲が公衆波順位で1位になり、アルバム販売量でも
女性歌手として最高記録を立てた。それで年末文化放送が彼女に授与した歌手王タイトルは、
微笑みと体つきが魅力的なだけであるイ・ヒョリに渡った通常の放送局のお膳の支度をする貴く見えた。
今年3月日本でシングルを売り出して本格的に日本活動に出るイ・スヨンにサル年も幸運の年になろうか。
一応予兆は良い。イ・ムンセの『光化門恋歌』、ヤン・ヒウンの『愛、その寂しさについて』、心受峰の
『あの時その人』、ペ・インスクの『誰でもそんな風に』など60〜90年代の最高ヒット曲を網羅して
カヴァーした『イ・スヨン クラシック』が、各種販売順位で1位になり、発売20日余りで10万枚以上売れた。
「オリエンタル風のバラード」という自分の色彩を固めたイ・スヨンの声が濃い温もりを含んで開かれる時
耳に熟した慣れたリズムたちは心をもっと強烈に吸いこむ。
彼女は3月日本で『フェアウェルブルース』『ナララ』(ラララの間違い?)『グッバイ』など既存曲で
シングルを出した後、7月にまた新曲でシングルを、そして11月には正規アルバムを日本語で出す。
従って、3月からは日本に常駐しながらその方活動に力を注がなければならない。
所属社である李家エンターテインメントのイ・ハンウ室長は「正規アルバムを韓国語で同時発売するかは
まだ決まっていない」と明らかにした。18%の印税(BoAは10%前後)を受ける破格的な条件で
日本のソニー社と契約を結んだ彼女が、3枚のアルバム(シングル2、アルバム1)を予想どおり
100万枚位売ったら54億ウォンを積ぐ。現在シングルジャケット写真撮影のために日本に滞在しているイ・スヨンは
来月7〜8日慶煕大・平和の殿堂で「BoAの成功神話」再演を念をおす出征式に違いない
「イ・スヨン アデューコンサート」を行う。
No.382 「ソウル新聞> 日本進出イ・スヨン来月7・8日アデューコンサート」 2004.01.29
http://www.seoul.co.kr/
”バラードの女王”イ・スヨンのファンたちはしばらく彼女の歌を聞くことだけで満足しなければならないみたいだ。
今年には舞台を日本に移すからだ。
来る4月披露する始めてのシングル準備のため、この頃玄海灘を(さながら)漢江でも渡るようにしているという彼女は
「身を二つのつで割りたい心情」と楽しい悲鳴を上げた。「歌手が休みたいといつでも休むことができるんですか?」
無理な強行軍を心配したらむしろこんなに聞き返す。
イ・スヨンはソニーミュージックと手を取り合って、これから2年間
日本で3枚のアルバムを出す。
4月に引き続き7月に二枚目のシングルが出て、11月には正規アルバムが予定されている。
これに先立ち来月中旬からは東南アジア7ケ国を回ってショーケースを繰り広げる。
「成功することができなければ帰って来ないかも知れないです」重ねて押し堅める覚悟に自信感がぷんぷんと漂う。
ソニーミュージックがイ・スヨンの独特の音色にかける期待は特別だ。初シングルだけで300億ウォン台の売上げを
予想しているほどだ。
しばらく国内活動を折らなければならないイ・スヨンは、惜しがるファンたちをなぐさめようと二つの贈り物を用意した。
先に1960年から90年代までの歌たちを縛ったリメイクアルバム『クラシック』を出した。
「40〜50代まで一緒にすることができるアルバムを出したかったんです」10代が主の偏向された私たち歌謡界に対する
懸念が埋め出る。
イ・ムンセの『光化門恋歌』、ピノキオの『愛と友情の間』、ペ・インスクの『誰でもそんな風に』、心受峰の『あの時その人』
など流れたヒット曲をおいしそうに歌ったという評価だ。「この前には私のアルバムを大人たちに差し上げるのが
ちょっと負担だったが、これからは違ってください」と言いながら満足感を現わした。
今まで15万枚ほどが売れたが沈滞に抜けたアルバム市場からこれ位ならいわゆる”大当たり”
「原曲を台無しにしたという音聞くか心配で憂わしかった」は彼女の心配は奇遇で終わったわけだ。
来月7・8日に開かれるアデューコンサートはイ・スヨンの最後の舞台を見られる機会。
ところで去る年末にもコンサートをしなかったのか?
イ・スヨンは発つ前「歌手生活を総仕舞する時間がほしかった」と言った。
コンサートの名前「Made in Balade」そのまま1〜5集に積まれた哀切なバラードの香煙を広げる。
少し遅かったが年末詩想件に対して問った。
歌お上手な歌手に認められたがスター性においては常に「2%不足だ」は評価を受けている途中かみなりのように
与えられた天井値受賞に「晩年2位」の悲しみをふるい出した彼女だ。
「5集を出す頃、あらゆる噂のせいでとても大変だったが、幼い頃から夢見て来た賞を受けたら全てのものが
ヌンノックドッが消えたんです」
見当はしたが舞台で止めどもなく泣いた事情が確かになった。
授賞式が終わった後にも控室に座って1時間余り涙をこぼしたの。
「明くる日底まで落ちた身を取り直して16時間録音作業をしたんです」結局3日間病院の世話になった。
そのようにかさかさな日程を堪え出す力はどこで出るか。新しい挑戦こそ彼女を支える”ブドウ糖”ではないか。
今イ・スヨンには”病気”も贅沢に見える。
No.381 「[ミスグッデイ]イ・スヨン”大きい水 日本で歌謡”」 2004.01.28
http://news.hot.co.kr/2004/01/28/200401281043492115.shtml
イ・スヨン 実は彼は私たちに静かに近付いた。
去る99年歌謡界に顔見せを見せた以後幾年の間彼は哀切なバラードをハンゴック歌ってからは舞台を静かに
下がるそんな歌手中の一つだった。
しかし今のイ・スヨンは国内女性バラード歌手の中で代表走者だ。99年から2002年9月までおおよそ14番(回)や
各種地上波放送歌謡順位プログラムで2位のみを繰り返えして'晩年2位歌手'という別称まで得なければならなかった
イ・スヨンは、2002年10月4集収録曲『ラララ』で初めて1位に上がりながら派手な”イ・スヨン時代”を予告した。
引き続き発表した『ピッ』『グッバイ』『トングロニ』などの曲が幾列にも1位を占める人気を享受して来た。
彼女は去年MBC<歌謡大典>で限り最高の歌手に与えられる”歌謡大賞”の栄光を抱いて遂に最高の席に
立ち上がった。静かだったが恐ろしい攻勢を広げて来たイ・スヨンはそうな間新聞1面を8番(回)だが飾る
A級歌手の面貌も見せてくれた。こんなイ・スヨンが最近しばらくうちの告別を知らせている。
日本進出をいきなり宣言して来る2月初韓国を去るイ・スヨンに会って惜しい告別の話を聞いて見た。
―これからの日程はどうなるのか?
▲2月7〜8日ソウル慶煕大・平和の殿堂で「アデューコンサート」を行う。
引き続き10日香港に出国して台湾シンガポール中国泰国マレーシア等地で現地ショーケースを広げて、
直ちに日本に飛ぶ。
―日本で良い成果をおさめる前には帰って来ないと言ったと言うのに?
▲最善をつくすという意味です。3月中旬オリコンチャートに初めて挑戦する。良い成果があるまで努力して
また努力するという覚悟で見て違う。
―さて, MBC歌謡大典大賞をおめでとう。あまりにも多く泣いていたが、殆ど嗚咽に近かった。
(イ・スヨンは当時底にべたりと座りこんで起きることができないほどにむせんだし、この場面はそっくりそのまま
生放送で視聴者たちに伝逹した)
▲ほほう…さすがにインターネット動画検索プログラムで「イ(李)嗚咽」を検索すればその場面が出る。
ドラマみたいだった。受けるようにではなそうな状況がずっとつながる遂に12月31日最高の賞を受けるようになった。
とても受けたかった賞で、そんな瞬間だった。
―日本進出に対する負担感もあるようだ
▲ソニージャパンでは「老けたボア」が来たと大騷ぎだ。思ったこと以上に大きい期待感を持って緻密に
準備している。実は私はそのまま国内のように歌にだけ勝負したい.楽に歌だけ熱心に歌うつもりだ。
―日本進出を試みた目的は何なのか?
▲大水で働いて見たかった。また私の声がそのまま国内用か、ではなければ海外でも通じることができるのか
必ず一度検証して見たかった。
―日本にあるうちにさびしくないか?
▲”ひどく”さびしいようだ。錐一セットを持って行かなければならないようだ。ほほう…、聖書を必ずチェングギョガルつもりだ。
神様に頼りたい。暇暇に宣教活動もするでしょう。宿所はまだ決まらなかった。日本の方で全てのものを準備する。
一人で生活することで分かっている。
―最近ファンサービス次元でお目見えしたリメイクアルバムが人気を得ている
▲とても大きい愛だ。30・40代までアルバムを購買することで分かる。不況期アルバム市場の打開策で
既成世代たちが好むに値する歌たちを選曲して今日のバージョンで盛って見ようという主旨がまともにモックヒョでものみたいだ。
楽に思い出を思い浮かぶように私も楽に歌を歌った。『愛、その寂しさについて』『沼』『冷たい風が吹けば』
『あの時その人』『光化門恋歌』など良い歌が多い。
―仲良し友達である(イ)ヒョリと落ちて惜しそうなのに
▲ヒョリもたくさん忙しい.ローミングサービスを通じてたまに通話するでしょう。
―ファンたちにしたい話は?
▲今の席まで来るようにしてくれたことだけでもありがたく思う。愛を100%すべて与えないで私にとって愛をもっと
渇求するようにしてくれたファン(イ・スヨンのファンたちは他の歌手のファンたちのようにこれから出るとか”グアックスロウン”
活動を広げないことに有名だ)らの大きい力になったは言葉が伝えたい。
No.380 「週間韓国>日本征伐に出るバラードの女帝」 2004.01.28
[スターデート]イ・スヨン
日本征伐に出るバラードの女帝
リメイクアルバム”Classic”発表、国内活動断って日本舞台進出
「思い出を残して去ります」
トップ歌手イ・スヨンが70、80年代ヒット曲を集めたリメイクアルバム『Classic』(ソウル音盤)を最近発表した。
2月の日本進出を控えて告別の意味を込めた6集アルバムだ。長い別離が近付いて止めておころうか。
イ・スヨン特有の繊細なボーカルはいっそう弱々しくなった感じだ。
「昔の思い出を振り返りながら、心の片隅が暖かくなる感じを伝えたかったんです。」
リメイクアルバムなのに既存の曲たちを???式で編集したお陰で「ボーカルだけ新たに入れただけの
”二番煎じ”のイメージを確実に脱した」と言う評価をつとに受けている。
原曲に忠実ではあるが、若い世代が好むラップを取り入れるなど、ひと味違う編曲で音楽を再解釈した感覚が格別だ。
新曲を聞くような洗練美が感じらせる秘訣だ。
70、80年代ヒット曲リメイク
新しいアルバムにはイ・ムンセの『光化門恋歌』、ペ・インスンの『誰でもそんな風に』、チョ・トクベの『夢に』、
ピノキオの『愛と友情の間』など30〜50代達が楽しんで歌ったヒット曲11個が収録された。
「私と年が同じ位の曲が多いです。30〜40代を越えた方々なら当時の若さを思い浮かべることができる歌です」
実はトップ歌手がアルバム全体をリメイク曲で満たして作ることは極めて珍しい事だ。それほど負担も大きかった。
「上手くいけば元手で、下手すると原曲を台無しにしたという不名誉を抱えることになるという点のため、
曲一つ一つを疎かにしないように表現しようと思ったんです。
できるだけ原曲の感じを活かそうとしたがモチャン?になってしまったようで。ある時はダビングも厭ったんです」
日本の新潟で製作したM/V撮影現場の動画と去年のクリスマスコンサート実況もボーナスで収録されており
見どころも多いアルバムだ。特にコンサート動画では体のラインが赤裸々に現われる色っぽい衣裳に
パワフルなダンスを披露するなど、セクシーな魅力を遺憾無く発揮していて人目を引く。
普段静かでたおやかなイメージで幅広い愛を受けて来た彼女としては、破格的な変身に違いない。
「常に大人しく歌う姿だけを見て来たファンに、ひと味違う舞台をお見せしようとしたんです。
これまでの純粋で清楚なイメージは、私が表現しようとするバラードの感じを表現するためであって
猫かぶりではないです」
善良で率直な性格のお陰で歌手ソン・シギョン、カンタ、タレント・アンジェモなど「79クラブ」メンバーたちと
深い友情を誇示するが、特に異性で付き合ってる人はいないと言う。これまで一部のマスコミで「人気タレントの
熱愛をキャッチした。結婚を前提にお忍びで会う人がいる」という報道が出た時は、凄く困惑したんです。
「結婚を夢見る状況だが彼氏が早く出来たらと思います。その推測記事が私を二度殺しますね.(笑)」
(#彼氏も居ないのにお忍びもないだろ!ってことかな?)
最近一部のスポーツ新聞がイ・ヒョリと喧嘩?したような推量報道をするせいで、予想する事が出来ない
胸焼けを経験したりした。年末の芸能大賞やバックダンサー問題などで摩擦をもたらしているという記事だった。
「ヒョリは私が一番大変だった2000年頃、私を慰めてくれた
しんばり棒?に近い友達です。
以後、嬉しい時や悲しい時、常に一緒にいたんです。そんな私たちは周囲がどんな状況でも
搖れることはできないです」
「永遠に記憶される歌手として残る」
1995年MBCラジオ「星の夜歌自慢大会」で大賞を受け頭角を現わしたイ・スヨンは高2の時、友達の紹介で
マネージャと出会い歌手の道に入っていった。99年デビューアルバム『I
Belive』で25万枚の
販売量を記録して以来、起伏なしに弛まぬ愛を受けて来た大型歌手だ。”バラードの女帝”という賛辞が
不足な位、我が国の女性歌手では最初の1集から5集(『トングロニ』)まで、全部で250万枚の記録的な
アルバム販売高をあげ、現在の地位を固めた。
「幼い時からひたすら歌手になることだけを夢見て来たんです。今も変わりないです。
私の歌を聞いて感動を受ける人々の姿を見る時が一番幸せですよ」
イ・スヨンは現在、韓国と日本を行き来しながら日本デビューアルバム準備に励んでいる。
2月7〜8日ソウル慶煕大・平和の殿堂で開かれる「アデューコンサート」を最後に全ての国内活動を整理して
大韓海峡の向こうの日本征服に出るという計画だ。去年初め、日本のソニーミュージックと40億ウォン台の
アルバム契約を結ぶ時”契約期間(2年)シングル2枚、正規アルバム1枚を発表する”と言う条項をつけたが、
契約が終わってもすぐには日本活動を断たないそうだ。
「成功するまでは帰って来ない」と言う腹づもりだ。
「初めから日本進出がしたかったのではないです。3年前から日本から多くの関心を見せて来て
熟考のあげく決断したのです。しかし韓・日文化交流が完全に開放された現時点では
日本行きは必ず挑戦しなければならない道だと思います」
去る年末「MBC 10大歌手歌謡祭」で最高人気歌手賞を受賞して感激の涙を主体することができなかったイ・スヨン。
舞台が精一杯広くなったこれからは新人の姿勢に帰ろうと思う。軟らかで弱い外観の中に果敢な推力を隠している。
「現実に妥協しないで変化して発展する姿をこれからもお見せしますよ。永遠に愛を受ける歌手として残ることが
できなくとも、永遠に記憶される歌手になりたいです」
No.379 「やっぱりイ・スヨン…もう12万枚
」 2004.01.27
http://www.stoo.com/html/stooview/2004/0127/091965654512131200.html
歌手イ・スヨンのスペシャルアルバムである『クラシック』が発売10日で12万枚を突破した。
イ・スヨンの所属社李家エンターテインメント側は26日「先注文12万枚がもう消化して
一日1万2,000余枚ずつ追加注文が殺到している」と明らかにした。
正規アルバムではないスペシャルアルバムがこんな反応を見せることは最近の歌謡界不況に照らして
異例的な事だ。『クラシック』はイ・ムンセの『光化門恋歌』、ペ・インスンの『誰でもそんな風に』、
ヤン・ヒウンの『愛、その寂しさについて』などのヒット曲をリメイクしたアルバムで、去る15日に発売された。
このような熱風は30〜50代のファンたちがアルバムを購買したから現われたことと、アルバム関係者たちは
分析している。これまで10代を主として立てられたアルバム市場で疎外された中年層が70〜80年代の
ヒット曲をリメイクしたアルバムを捜してレコード店を尋ねながら、このような熱風が吹いているのだ。
年末授賞式で涙をこぼして話題を集めたイ・スヨンの、日本進出を控えて発表した最後のアルバムという
点も一役買った。
イ・スヨンは2月7、8日慶煕大・平和の殿堂で開かれるアデューコンサートを最後に日本で本格的に
活動する予定だ。イ・スヨンは日本でシングルジャケット写真を撮影した後、28日帰国して
コンサート準備に専念している。
No.378 「[芸能in] 日本活動イ・スヨン”私の歌が2国間の足になったら”」 2004.01.27
http://www.sportsseoul.com/news/entertain/music/040127/2004012710547901000.htm
「良い舞台で良い歌が歌いたかったんです。音楽は万国共通言語だから、それで日本の人々の心を捕らえます。
日本は近くて遠い国じゃないですか。私の歌が二つの国の間の足になったら良いですね」
”バラードの女王”イ・スヨンが”日本大征伐”を控えて、これまで隠していた内心を取り出して見せた。
彼女は2月7〜8日慶煕大・平和の殿堂で「アデューコンサート」を最後に本格的な日本活動に入って行く。
と言っても、韓国を全く去ることはない。これまで知られたところと違い、韓国と日本でアルバム活動を行うつもりだ。
最近発表して良い反応を得ている『イ・スヨン クラシック』アルバムの広報は勿論、今も販売されている
自らの5集にも持続的な関心を見せるつもりだ。
イ・スヨンは去る10日、日本に出国してシングルを録音した後、しばらく帰国し、24日にまた日本に発った。
今春現地で発表するシングルのジャケット撮影のためだ。以後2月7〜8日国内でアデューコンサートをした後
また日本に行く。
去年末、MBCが選定した2004年最高歌手賞を受けて、韓国最高の女性歌手に一気に登りつめたイ・スヨン。
穏やかな対話の中でいっそう成熟した彼女を感じることができた。
―日本へ行ったら韓国での活動はどうなるんですか?
特別に入れ替わる事はないです。日本と韓国両方で活動することができるみたいなので…。
どうせ(同じ)北東アジア圏じゃないですか。アルバム活動が終わった後、一定期間休むように。
今度の日本活動は国内アルバム活動を終わらせて、出来た時間を利用することだと見れば良いみたいです。
―日本が自分を選択した理由は何だと思いますか?
たぶん私の声と歌唱法が日本人に好まれるはずだと思ったようです。彼らが私を好むわけは
私がこれまでしてきた音楽と歌ではなく、彼らが作った音楽を私の声と感性で上手く表現してくれるはずだと
信じるからだと思います。ソニーミュージックで相当な期待をかけているようです。
頑張って日本大衆の心を捕らえたいです。
―日本進出準備はうまく行っていますか?
日本語の勉強を頑張っています。日本に進出しながら日本語ができないのでは話にならない。.
虎を取ろうとすれば虎穴に入って行かなければならないじゃないですか。
歌の勉強はもっと熱心にしています。必ず成功するでしょう。成功するまでは帰って来ないようにします。
日本歌手たちに負けたくないです。
―中国に進出する計画はないんですか?
まだそこまでは思うことができない。日本に進出して何か得ることが出来たら、次は中国だがまだ…。
東南アジアプロモーションツアーは用意している。
―最近発表したクラシックアルバムを紹介して下さい
タイトル曲『光化門恋歌』を含めて、大部分が70〜90年代に多くの人が好きだった歌だ。
その頃に暮した人々の考えといきいきとすることが暮して呼吸する。
今度のアルバムは、一種の触媒剤だ。年を取った方々が、今の私の歌を聞いて当時のおぼろげな香水を
感じることができたら良いでしょう。この頃の人々のためにサービス動画も収録した。
2003年クリスマスコンサートで踊りながらヒョリの『10Minutes』を歌った場面もある。
M/V撮影現場スケッチも入れた。
―タイトル曲である『光化門恋歌』のM/Vに対して言葉が多い。雪降る光化門ではなく他の所という話があるのに
当たり。日本の有名な雪原都市・新潟で撮影しました。日本の映画『ラブレター』とそっくりな雰囲気です。
実は70年代の光化門の雰囲気が湧く所で取ると良かったが、惜しくもソウルにはそんな所がなかった。
M/Vに出る俳優たちの演技が良くなかったか。ハン・ジヘェとチョ・ユニ、キム・カンウなどが
歌の雰囲気をよく活かしてくれて有り難く思います。リメイクアルバムのM/Vらしく、70〜80年代に
実際にあった道具をたくさん入れようと思った。
―ヒョリとの関係は大丈夫?
(笑)たぶん言論が話題作りで作った話みたいです。理解はするけどちょっとひどかった。
特別に好きになることも悪くなることもない。そのまま私たちはいつもグロしたように友達の仲だ。
―一部で去年末最高歌手王に上がった後、少し生意気になったという話があるけど…
そんな話が出るとはある意味嬉しいです。それ程私がたくさん知られたという意味ではないか。
私はいつもその場にいた。デビューの時や今や常にイ・スヨンだ。MBC歌手王に上がった後、
周りの人たちが遠ざけるようだった。訳もなく尊敬じみた言葉を言って、呼称も変わって…
これまでのように接してくれれば良いでしょう。
―ファンたちに言いたいことは?
あけましておめでとうございます(新年福たくさん受けて)、イ・スヨンを最後まで見守ってくださいと
申し上げたい。いつも感謝しています。
No.377 「来月7〜8日 アデューコンサート イ・スヨン」 2004.01.27
http://www.heraldbiz.com/site/data/html_dir/2004/01/27/200401270018.asp?kpage=2&kppage=0&scode=FDA&art_id%22=
私だけの音色で日本平定します。
「バラードの女王」イ・スヨンは去年インタビューでこんな言葉を物静かに言った。
「今はどんなバラードを持ってくれても難しく受け入れないで無難に消化し出すことができる」と。
1999年にデビューアルバム『I Believe』で彼女はギャナルプゴチォングスンしたイメージに当たるバラード声で大衆の高い人気を得た.しかし中国の固典文学を連想するようにする独特の唱法は当時湖のようにザンザンハンゾングトングバラード係では確かに異端のヌンチォングを受けるに値した。
このような試図は2集『Never Again』と3集『Made
In Winter』、4集『My Stay In Sendai』までつながった。
「イ・スヨン風バラード」が作られていたつもりだった。
「音楽人では”非主流”ではないが、音楽的には”肥大重の”と思ったんですよ。
私だけの独特で特色ある音色を武器で”私一人で”音楽をすると身悶えしたが、反応が意外に良かったんですよ」
反応は爆発的だった。アルバムを発表する度に少しずつ販売量がトルオジヌンイルバンゾックな規則で彼女は
断然例外的だった。25万枚が売れた1集に引き続き、2集と3集がそれぞれ30万枚を越したし、4集は50万枚を突破した。
アルバム不況の事態が最悪で走り上げた2003年に発表した5集『This
Time』は42万枚の販売量を記録して健在を誇示した。
これだけではない。正規アルバム以外に発表したスペシャルアルバムも各種アルバム販売チャート上位を記録した。
去年末出したクリスマスアルバム『Amazing Christmas』は国内クリスマスアルバムの中で最多販売を記録したし、
最近70、80年代国内歌謡をまた歌ったリメイクアルバム『Classic』もアルバム販売順位('ハント'集計26日現在)
エソスズ間1位を固守した。M.C The Max'の2集アルバムを追い抜いて1位に上がった。
この位ならイ・スヨンの参加したアルバムは皆”大当たりアルバム”で評価を受けるのに不足さがない。
イ・スヨンは「新しいアルバムを出す度に既存に入って来た歌たちで満たせば寿命がそらぞらしいから
一味違う試図をたくさんする方」と言いながら「大衆入り独特したメロディーと声をむしろ大衆的に評価してくれて
有り難いだけ」と言った。
イ・スヨンは言わば生れついた”歌姫”である。柔らかいながらも荒くて訴える力ありながらも弱弱しい雰囲気を
演出する音の美学は、イ・スヨンをトップシンガーにした要素だ。ここにバラード女王という荷札が顔負けで
消化し出すジャンルのスペクトラムも期待以上に広い。
4集アルバムではバラードだけではなくブルージーした感じの曲やジャズ、ブラシなど領域の幅を拡大して
歌姫が持っているあらゆる才を皆披露した事がない。クリスマスアルバムで見せてくれた湿っぽいジャズスタイルの
ボーカルや、去年のクリスマスコンサートからジョニファーロペズの『Let's
Get Loud』を元気良く解く腕前は
イ・スヨンをこれ以上ある一ジャンルに拘束させるのを拒否する。
「多くのジャンルの歌を歌って見るといつのまにかジャンルの限界を乗り越えた感じ」というイ・スヨンの自信感も
このような評価と軌道をいっしょにしている。
特にリメイクアルバム『Clasic』は「美しい名曲たちをまともに消化し出すことができようか」に対する疑問を
はたいてしまうことに成功したアルバムとして評価を受ける。イ・ムンセの『光化門恋歌』、ベインスンの
『誰でもそんな風に』、ゾドックベの『夢に』同じ曲たちがイ・スヨンの口蓋垂に移ればどんな味を漂うのか
如実に見せてくれているからだ。
イ・スヨンはこのリメイクアルバムを最後に、国内でしばらくアルバムを出さない考えだ。
去年ソニーミュージックと結んだ契約によって日本で2年の間シングル2枚と正規アルバム1枚を発表するためだ。
今すぐ来る4月頃シングル一つを売り出して、引き続き7月頃二番目のシングルを出した後、11月に正規アルバムを
売り出す予定だ。
ソニーミュージック側は「イ・スヨンは日本でも見つけられない声を持った歌手で、BoAと比べても
遜色がない位期待が大きい。日本のアルバム市場で300億ウォン位の売上げをあげることと見る」と言った。
イ・スヨン自身も日本で刮目するに値する成績をおさめなくては帰って来ないという覚悟を押し堅めている。
2月7〜8日「アデューコンサート」を最後に国内活動を締め切るイ・スヨンは、今度の舞台で「イ・スヨンのバラード」を
愛するファンのために全てのものを出す舞台を用意する計画だ。
最後に聞く”歌姫”の甘美なささやくにひとしきり泣くかも知れない。
No.376 「私たちも玄海灘渡る」 2004.01.27
イ・スヨン、Big mama、JEWELRY、SE7EN
「私たちも玄海灘渡る」
中華圏の韓流熱風が日本列島で伸びていっている。
国内で活躍する人気歌手たちが今年初めから続々と日本進出を宣言して大韓海峡をゴンノがであるから、
数百万枚のアルバム販売高をあげながら日本大衆楽壇を賑やかにさせた10代少女歌手BoAに引き続き
イ・スヨン、SE7EN、Big mama、JEWELRYなどが日本活動を推進すると公式発表した。
イ・スヨンはソニーミュージックの全幅的な支援をもらい、4月頃シングルを発表する。
引き続き7月頃に二番目のシングルを売り出して11月頃正規アルバムを出すなど2年の間シングル2枚と
正規アルバム1枚を発表して本格的な日本ファルドングウルピョルチンダ。
洋弓企画所属歌手であるSE7ENとBig mamaは、日本の企画社オンリミテッドサワソンを取って
アルバム発売と放送活動をする事にした。
女性4人組みダンスグループJEWELRYは日本製作社ビーイングを通じて来る中盤期ほど
公式活動を広げる計画だ。この外にパク・ヘギョン、ソヨンなども日本進出に出ることと知られた。
国内大衆楽壇のある関係者は「日本製作社たちがBoAの成功にゴムされて、韓国の人気歌手たち迎入に
熱をあげているようだ。単純にアルバムだけ内告見守る消極的マーケティングではなく、TV番組を別に
編成するなど国内歌手に多くの念を入れる積極的マーケティング戦略を駆使していることで分かる」と言った。
No.375 「イ・スヨン、リメイクアルバム”クラシック”アルバム販売1位疾走」 2004.01.27
http://sports.chosun.com/news/news.htm?name=/news/entertainment/200401/20040127/41717001.htm
中年たちを起こす
70〜80年代代表曲脚色…アルバム販売1位疾走
イ・スヨンが眠った既成世代の感性を覚ましている。
70〜80年代の代表曲をリメイクしたスペシャルアルバム『クラシック(Classic)』が、30〜50代にも
爆発的な呼応を催している。
12日に発売された今度のアルバムは、Daum、ネイバー、チューブミュージック、オイ、サンア、フォノなど
全てのインターネットアルバム販売サイトと大韓教育保険、新国オフラインアルバム売場で販売チャート1位を
記録している状態。
特に10〜20代のイ・スヨンファンたちはもちろん、30〜50代達まで自らの10〜20代時代好んで聞いた
音楽が「イ・スヨンのバラード」で新しくリメイクされたのに対して歓呼してアルバム売場を尋ねている。
イ・スヨンのファンサイトには「”クラシック”アルバムを聞いて少しの間でも昔の思い出と、おぼろげな
郷愁にひたるようになる」「その間、音楽を忘れて暮したが学生時代に帰る感じだ」「子供達と一緒に
聞くことができるアルバム」など好評の書き込みが殺到している。
今度のアルバムはイ・ムンセの『光化門恋歌』を筆頭にペ・インスンの『誰でもそんな風に』、ヤン・ヒウンの
『愛、その寂しさについて』など原曲のヒャングスオリンメロディーに加えられた感覚的編曲と
大規模オーケストラなどアルバムの完成度と原曲が持っている魅力をイ・スヨン特有のジェリコ纎細な感性で
表現したのが魅力。
特に日本映画『雪国』の撮影地である新潟でチョ・ユニ、ハン・ジヘェ、キム・カンウなど新世代最高の
スターが出演した『光化門恋歌』のM/Vは、過ぎ去った愛と忘れることができなかった愛に対する話を
二人の女と一人の男の絡んだ関係を通じて見せてくれて、各種音楽サイトで歌と共に大きい愛を受けている。
一方イ・スヨンは2月7、8日ソウル慶煕大・平和の殿堂で「アデューコンサート」を開くことで
国内活動を仕上げた後、日本活動を始める。
No.374 「国民日報>[お話と一緒に…大衆と一緒に―歌手イ・スヨン]"難しい時厭って黙想して祈ります"」 2004.01.27
”バラードの天使”と呼ばれる歌手イ・スヨンが2003年歳末を‘イ・スヨンの日’で飾った。
去年12月31日「MBC 10大歌手歌謡祭」で大賞である最高人気歌手賞を受賞した。
名前が発表されると二つの手で顔をくるんでその席にべたりと座りこんだ。
親友イ・ヒョリの助けを受けてやっと身を起こしたがイ・スヨンはどんな言葉も言うことができなかった。
「神様ありがとうございます」やっとこの恨み節をした。
アンコール曲の『トングロニ』を一小節も歌うことができなかったまま、ずっと涙をこぼした。
あの時どうしてそれほど泣いたのか訊いた。
「本当に誰考えがなかったです。ただ神様だけ浮び上がったし感謝差し上げると重ねて言ったんです。
走馬燈のように大変だった頃の記憶が甦ってきました。その瞬間が今まで私が祈った結晶体でした。」
イ・スヨンはどんな言葉も話すことが出来ず、息が出来ない位に息が支えたと当時を回想した。
彼女は「思いのほか大きな賞を頂いて、ファンと私を手伝ってくれた皆さんに感謝のあいさつを
しなければならなかったが…」と言いながら「この場を借りてもう一度感謝します」と語った。
イ・スヨンは1999年『I Believe』でデビューした。美しい映画『ラブレター』を思い起こさせるこの曲は
一方の映画みたいな画面と彼女に似合うイ・スヨンだけの神秘ながらもきれいな声で忽ち多い愛を受けた。
引き継いで『Never Again』『スチドゥッアンニョン』なども素敵なM/Vと一緒に彼女は人々に
「歌の上手な女性歌手」として強く刻印された。
「すべてのものが神様が施してくださった恩恵です。2001年に発表した3集も心血を傾けただけ大きい愛を
受けたし、2002年には世界的な名優ジャッキーチェンとデュエット曲を歌う幸運も得ました。
気づかうとか心配しないです。神様がすべて見守っていらっしゃるからです」
イ・スヨンは高校3年生の時から信仰生活をした。あるラジオ番組の『歌自慢大会』で歌を歌って大賞を
受けた後、本格的に歌手の夢を育てて来た彼女は、一種の「歌手授業」でゴスペルを好んで聞いた。
「当時ゴスペルは単純な音楽でした。私の耳にメッセージは入って来なかったです。
外国はゴスペルを一般大衆舞台でも聞くことができるが、我が国は教会へ行けばこそゴスペルを
聞くことができました。それで教会に何度も通いました。」
イ・スヨンは神様がそのように心の門をたたくことは分からなかったと告白した。
どの瞬間からゴスペルを歌う時胸が暖かくなることを感じた。
キリストの愛を歌う家事がイ・スヨンの心に響いたのだ。
彼女は高校卒業の前まで6個班を回って前途をするほどに「熱誠成都」がなった。
「今その友達が信仰生活がよくしているかはよく分からないです。
当時私と一緒に迎接祈祷をしたから、いつか神様が私を捜したことのように友達に近付くはずだと信じます。」
名前が知られて忙しいスケジュールのため、しばらく信仰生活を怠った時もあった。
「神様はあの時毎に私をそのまま置かないで先に尋ねて来てくださいました。
ちょっと遅れるようにいらっしゃると思えば「神様、私をちょっと取ってください」と言いながら
甘えを使ったりします。」
また、周りから彼女を街だけ置いておかなかった。篤い信仰人ながら懇意な友達である歌手イ・ジフンが
イ・スヨンを連れて夜明け祈祷会に通って「初恋」を回復するように手伝ってくれた。
イ・スヨンは「ジフンが出席する教会が録音スタジオの近くで、働く時ならその所で礼拜を差し上げる」と言った。
しかし、その時間も合わせにくい時ならヨシュア1枚9節お話を開いておいて一人でキューティをする。
「大変で難しい事がある時なら必ず『心を強くしてダムデヒしなさい。
恐ろしくて言葉であり驚かないでねお前と一緒にしよう』
と言うお話を黙想します。そして、切に祈ればいつのまにか心が平安になってください。」
イ・スヨンは「神様はご両親のように暖かい心に近付いて慰めてくださるお方」と定義した。
彼女は青少年期にお母さんとお父さんに先立たれた。しかし、スヨンには陰がない。
理由は神様が横にいらっしゃるからだ。
もうしばらくイ・スヨンの顔を画面で見る数なさそうだ。去る12日リメイクアルバム『The
Classic』を発表した彼女は
来月7〜8日慶煕大・平和の殿堂で行われるアデューコンサートを最後に国内活動を締めくくり、
日本と東南アジア活動に力を注ぐ計画だ。
「株中で私たちは一兄弟です姉妹じゃないか。忘れないで私をために祈ってくださるとは信じます。
皆さん愛してます。」
イ・スヨンはインタビュー末尾に必ず祈祷題目を入れてくれと言って頼んだ。
No.373 「文化日報>成功する時まで帰って来ないです」 2004.01.26
日本進出する歌手イ・スヨン
この頃イ・スヨンに会うのはまさに夢のまた夢だ。昨年末、ある放送社の歌謡年末授賞式で大賞を掴み、
新年が明けるやいなやリメイクアルバムを発表して、これからは日本で3月頃披露する新しいアルバム(シングル)
を録音中だ。
また2月には、ソウルで大規模なコンサートを行うのに続き、東南アジア7ケ国を訪問してショーケースを開く。
特にJ-POPの国内上陸が本格化している中で、これと反対に日本進出を目の前に置いた彼女は
心までも忙しい。先週日本からしばらく帰って来た彼女に会った。
「成功するまでは帰って来ないつもりというのは、易しい事ではないけど、私の挑戦する分野が万国共通語
である音楽と言うことを慰安にしています。日本の歌手たちに決して負けてはいけないでしょう」
イ・スヨンは、去年日本のソニーミュージックから「BoAにボグムガルほどの歌手」で、落点受けた。
現地の関係者たちは日本では捜してみにくいイ・スヨンの独特の音色を高く買った。
「彼らが私に関心を持っていることは私がした音楽と歌だと言うよりは、彼らが作った音楽をよく表現する
ことができる私の音色と感性ではないかと思います。彼らが表現しようとする音楽を大衆に伝逹する
メッセンジャー的役割を期待するのです。」
イ・スヨンはこの頃日本語の学習にも熱をあげている。日本の社会には自国言語を使わない外国人を
認めない排他主義的な風土が根付いているから。
「虎を取ろうとすれば虎穴に入って行きなさいという話のように、日本大衆の心を捕らえようとすれば
彼らの言語を学びますよ。」
イ・スヨンは最近5.5集『Classic』を発表した。80〜90年代のヒットした他の歌手たちのバラードを
履修令息でリメイクしたアルバムだ。面白いのは、自分の歌を歌う時より自分の特徴をもっとよく現わしている
という点だ。今まで全部で250万枚のアルバムを売り飛ばした彼女は、今度のアルバムで300万枚の
販売高記録に挑戦している。
「今度のアルバムは、一種の触媒ですよ。中壮年層たちが今私の年の時入った音楽を聞いて
おぼろげな思い出を回想することができる触媒的言葉です。雄大に聞こえるかも知れないが
音楽の力と言うのは、そういうものではないでしょうか?」
イ・スヨンが歌った『光化門恋歌』や『夢に』は、イ・ムンセとゾドックベが歌った原曲より纎細な感じがある。
細心なベリョラゴでもするか、寒い冬お母さんが子のために下の目に埋めておいた
ご飯一膳を思い出す。
イ・スヨンは2月7、8日ソウル慶煕大・平和の殿堂でコンサート「The
Last Empress Of Ballad」を行う。
日本列島を征服するのに先立って開く国内での最後の舞台。
「この席まで来るようにしてくださったファンに感謝の意味を伝えてイ・スヨンと言う人間の足跡を
返り見る時間になるでしょう。韓国での最後の舞台だと思ったら、つとに惜しいですね。
しばらく舞台に立たなくても私を憶えていて下さると信じます。」
No.372 「芸能映画新聞>イ・スヨン リメイクアルバム[Classic]出荷」 2004.01.26
1970〜90年を代表するバラード人気曲再解釈
歌手イ・スヨンが日本進出を控えて告別の意味を込めた
リメイクアルバム『Classic』を発表した。
思い出の書棚をめくるように、過ぎ去った愛と忘れることができない愛に対する話を穏かに詠じ出している
今度のアルバムで、イ・スヨンは1970年代から90年代までを代表するバラード人気曲を料理し?、
纎細な感性で新しく再解釈している。
1980〜90年代のヒット曲であるキム・ジヨンの『冷たい風が吹けば』を含めて、イ・ムンセの『光化門恋歌』、
ピノキオの『愛と友情の間』、ゾドックベの『夢に』、そして1960〜70年代を代表するペ・インスンの『誰でもそんな風に』、
心受峰の『あの時その人』、ヤン・ヒウンの『愛、その寂しさについて』など美しい曲たちが収録されている。
特にイ・スヨンは今度のアルバムでバラード、ソウル、フォークまで多様なジャンルの曲にチャレンジし
リメイクの範囲を広げている。
イ・スヨンは「若さとするのがそのまま生きている歌。苦悩といきいきとすることが暮して呼吸する歌を
また歌って、胸が暖かくなる感じを伝えたかった」と語った。
一方、今度のアルバムには日本の雪国都市・新潟で進行されたM/V撮影現場を収録した動画と
去年のクリスマスコンサート実況も一緒に収録し、内実面でがっちりしている構成力を誇る。
アルバム市場の極甚な不況にも関わらず前注文20万枚を記録した今度のアルバムは、歌謡ファンたちに
良い贈り物になる見こみだ。
No.272 「成熟-セクシー-カムジック武器で列島とかす」 2004.01.21
http://search.sgt.co.kr/fbin/result.fcgi?search=タフシソオ&dataid=200401201231000065
人気歌手イ・スヨン〜JEWELRY〜Sugarが日本進出本格化
◇イ・スヨン
新年に入って日本大衆文化が全面開放されながら国内人気歌手たちの日本進出がラッシュを迎えている。
去年末、某放送社が主催した10大歌手歌謡祭から大賞格である最高人気歌手賞を受賞した「バラードの女王」
イ・スヨンが本格的な日本活動のために出国した。
4人組み人気女性グループ「JEWELRY」と「Sugar」も新年初めから日本音楽市場に進出して
すぐアルバム発売を控えている。イ・スヨンとJEWLRYは3月から日本のTV画面を通じて姿を現わし、
Sugarは今月末から本格的な放送活動に出るなどBoAを引き継いだ3組の今年の一年の活躍が期待される。
#イ・スヨン=「新しい市場を開拓するという状況が負担にはなるが、自信を持って熱心にすれば
良い結果が出ると信じます。」
18日に日本に発つ前日行った電話インタビューでイ・スヨンは、
「日本舞台で成功することができなければ、天から帰って来ない覚悟で最善をつくす」と語った。
所属社である李家エンターテインメントのイ・ハンウ室長も「イ・スヨンの音色は日本でさえ捜してみにくい位に
競争力があるから期待が大きい」と語った。
イ・スヨンは19日午前日本に出国した後、直ちに3〜4曲位のシングル録音作業に入ったとイ室長は伝えた。
イ・スヨンは日本のレコード製作会社であるソニーミュージックと契約し、マネジメントは子会社である
ロバートエンターテインメントが引き受けた。売上げ規模は300億ウォン位に至ると予想されている。
イ・スヨンはのちに正規アルバムも売り出す予定で、4月初めから本格的な放送活動に出る。
これに先立ち、国内活動に対する告別の意味で最近出したイ・スヨンのリメイクアルバム『Classic』が
良い反応を得ている。1970〜90年代までを代表するバラード人気曲をイ・スヨン特有の細くて纎細な
感性で表現した。80、90年代のヒット曲、キム・ジヨンの『冷たい風が吹けば』を含めて、
イ・ムンセの『光化門恋歌』、90年代ピノキオの『愛と友情の間』、チョ・グァヌの『沼』、ゾドックベの『夢に』など
20、30代ファン層を狙った曲を新しいバージョンで歌った。
パールシスターズのメンバーペ・インスンのヒット曲『誰でもそんな風に』、心受峰の『その時あの人』、
ウスンシルの『忘れてしまった傘』、ヤン・グフィンの『愛、その寂しさについて』、大学歌謡祭大賞曲
『私が(ネガ)』など、発表されてから20年が過ぎたヒット曲も収録した。
#JEWELRY=現在日本に滞在している4人組み女性ダンスグループ”JEWELRY”は、日本側のアルバム社
ビーイングミュージックとシングルを製作中だ。3月3日のシングル発売と同時に、国内で良く知られている
TV朝日の有名音楽番組『ミュージックステーション』に出演する。
今度のアルバムには、先月録音した日本のアニメーション『モンキーリターン』の主題歌『心を止めないで』を含む
3曲が収録される予定だ。
今月3日から、日本でJEWELRYはミュージックビデオ撮影とアルバムジャケット写真撮影日程で忙しい。
国内放送プログラムである『一夜のTV芸能』『ミュージックバンク』『タイムマシーン』などでのMCを
担当している朴貞芽は、一週間に一度、日本と韓国を行き交っており、残りのメンバーは日本で活動中だ。
#Sugar=在日韓国人3世の"あゆみ"がメンバーにいる4人組みの女性ダンスグループ「Sugar」は
早目に日本音楽市場攻略に出た。去年夏から日本進出を準備したSugarは29日、東京で初公演を行って
歌手活動スタートを知らせる。
日本のアルバム製作企画社である「トイズファクトリー』を通じてアルバムを売り出し、”子会社”ホリプロが
マネジメントを引き受けてSugarの活動を助ける。
来月4日に発売されるアルバムには12曲が収録され、タイトル曲は『Go
The Distance』だ。
所属社スターワールドの広報担当イ・ウンギュさんは「Sugar」はアルバム発売前の今月末から
日本の主要放送社であるNHKなどのTVに出演して本格的な活動を始める。
しばらく韓国に帰って来る計画はない」と明らかにした。
No.270 「[スターたちのお正月休み]イ・スヨン両足すっと伸ばして”一日捜さないで”」 2004.01.21
http://www.stoo.com/html/stooview/2004/0120/091965188312111100.html
―イ・スヨン
2月初めにある「アデューコンサート」の準備で忙しいようだが、時間があったら家にじっと座って
親しい友達と一日中音楽一曲を繰り返して聞きながら、言葉一言なしに送りたい。
この間やって見たが大好きだった。
一日はそんな風に過ごして、四日はヨガが学びたい。
No.269 「[お正月特集]有名役術家が選んだ幸運スターベスト10」 2004.01.21
http://news.hot.co.kr/2004/01/20/200401201054582100.shtml
民族の節日お正月だ。
今頃になれば多くの人々は自分の仕事やスターに今年どんなことが起こるか気になる。
申年の新年を迎え、活躍が期待される芸能・スポーツスター10人の新年運勢を長安のネロラする
易学人たちに依頼して調べた。
▲イ・スヨン=名誉と財物を同時に成就する神聖大気の運勢だ。範囲を大きく取って早い変化と開拓に力を
注いで判断を迅速にすれば、既得権と勢いを掌握することができる。新曲発表は6月以後が豪気。
勇気と肝っ玉が必要だ。前半期は新しい設計を、夏期からはもう完成された計画を行わなければならない、気ばたらきを発揮すると成功に至ることができる。
気を付ける点は、身辺で誤解を受けて、感情が悪くなることがあるということ。
義理と友情を守って身辺管理に気を使った方が良い。
海外にも曙光がある。まだ予備運に過ぎないが今後の大きい結実を結ぶことができる。
一人で決めるとか、意地を張ることは避けて、周囲の助言と忠告を取り集めれば万事亨通だ。
No.268 「日本に進出する歌手王イ・スヨン」 2004.01.20
http://www.ilyo.co.kr/
天にいらっしゃるお母さん、お父さんありがとうございます。
「大賞」を手に握ったイ・スヨンは、涙をこんこんと溢しながら、(受賞の)言葉を続けることができなかった。
感情が柄された状況、その瞬間イ・スヨンの頭に浮かんだ人物は恐らく天にいらっしゃるご両親だったろう。
年末に栄誉の大賞を受賞した歌手イ・スヨン。彼女は当時この場面を見守ったファンたちの胸を
もう一度濡らした。難しい試練を積み重ね歌手としてトップの地位を確立したイ・スヨンに全ての人々が
心より拍手を送っていた。
授賞式が終わった後も、イ・スヨンは舞台後から一時間余の間、泣き止むことができなかった。
そばで見守った親友のイ・ヒョリでさえ、彼女の涙を慰めることができなかった。
その時イ・スヨンの脳裏にスチョジナガン先日たちは果してどんな姿だったろうか。
イ・スヨンのファンは特に静かだ。通常の女性歌手のファンと違い、(表に)出ないで黙々と後から支援してくれる
人々が多い。アルバム販売量を見ても、チャート順位を見ても、倦まず弛まずトップクラスを走っているのに
妙に「目に見える」ファンがいないというのが企画使用側の説明だ。
マネージャーのイ・ハンウ室長は「ファンを招待しても、あんまりいらっしゃらないのだ。まったくもうファンが皆どこに
いらっしゃるのか分からない」と笑みを見せた。「見えないファン」すぐここに「イ・スヨンの力」が潜んでいる。
今年(韓国式で)25歳のイ・スヨンは、デビュー時から倦まず弛まず静かなバラード曲で勝負をかけて来た。
特有の空くことがまじたボーカルと唱法が全ての年代のファンを一緒に虜にする源泉だ。
イ・ヒョリのファンも、神話のファンも、シン・スンフンのファンも、甚だしくはイ・ムンセやヤン・フェウンの
おばさんおじさんファンたちも、イ・スヨンの歌が好きなのだ。あるファンは「誰にも拒否感なしに染み込むような
イ・スヨン独特の声が魅力」と評した。
イ・スヨンのデビューは去る99年にさかのぼる。中学3年生であった95年
MBCラジオ番組「星が輝く夜に」の
「星の夜歌自慢大会」で大賞を受賞して頭角を現わしたイ・スヨンは、高校2年生の時に友達の推薦で、
正式なオーディションを受けるようになる。そして、1stアルバム『I
Believe』を発表するまでの3年の準備期間に
ボーカルトレーニングを受けたと言う。
当時、タイトル曲『I Believe』は映画のようなM/Vで話題になったが、イ・スヨンはこの曲で大きく名前を
知られることはなかった。2集のM/Vもやはりシン・ヒョンジュンとチョン・リョシのスキャンダルによって人目を引いたが
歌謡チャート1位の嬉しさは後日に延ばさなければならなかった。
「万年2位」に対する惜しさをなだめてくれた曲は4集タイトル曲だった『ラララ』。
デビュー後3年で初めて1位になったイ・スヨンは、当時も
べそをかいたために まともに受賞所感を言うことが
できなかった。1位候補に上がったことだけで15回目。いつも1位を逃して惜しい胸を掃かなければならなかった。
イ・スヨンはこの年末にも似たような経験をした。歌謡祭毎に候補に上がったが、大賞は彼女に回ってこなかった。
マネージャーのイ・ハンウ室長によれば「その前日までは、もしや一回は受けるんじゃないかと期待したが、
毎度行き違って、いざ大賞を受けた日には初めから”無心になりなさい”と言った」と言う。
もう心が落ち着いたイ・スヨンは当時の心境をこのように打ち明けた。
「大賞を受けて本当に多くのことを感じたんです。ずっと候補にだけ上がって率直に挫折感を感じたことも事実です。
周囲で「もしかしたら君が受けるかも知れない」と言う言葉をたくさん聞いて期待して滑ったら恨めしいだろうと
思ったんです。ところが賞を受けてみたら「私が何か不足だったな」という気がするんですよ」
当時イ・スヨンのそばですぐ面倒を見てくれたのはイ・ヒョリだった。感情が柄された自分を始終脇を抱えて助けてくれる
友情を施したイ・ヒョリに対してイ・スヨンは「多分ヒョリがいなかったら席に座りこんでしまった」と言いながら有り難がった。
実は前日、他の放送局授賞式でもイ・スヨンは一回「危機」を経験した事がある。
生放送を控えて急に木瓜などに痙攣が起きたこと。急に物理治療士を呼んでバンの中で指圧を受けた後には
やっと行事に参加することができたと。
イ・ハンウ室長は「去る年末にコンサートと録音まで重なってあまり無理をした。治療士が「ヒョル」が支えて
大変な事になる所だったと話していたよ」と当時の状況を伝えた。
講壇ある言行とは違いイ・スヨンは体力があまり強い方ではない。去年12月初には録音室で練習した中高熱と
嘔吐感で応急室に載せられて行った上に。9月と10月には一方聴力と視力が殆ど喪失された状態という記事まで
見ても良かった。果して現在の状態はどうかな。
これについて所属社側は「正常なのではないが、生活に全然不便さがない。治療を受けるに値する位ではない」
と付け加えた。それとともにひととき言論でイ・スヨンが「視力喪失説」を広報用で利用することではないかと言う
疑惑を申し立てたことに対し出し名残惜しがる気付きだ。
実は所属社側はこれに似ている悩みが一つもっとある。イ・スヨンが孤児家庭という事実が一歩遅れて知られながら
注目を引くと、一部で「チォングスング広報をすることではないのか」と言う叱咤を送っているから。
しかしイ・スヨンの家庭士の知られたことは所属社の意図したのではなかった。イ・スヨンの同窓たちが
インターネットにあげた文によって切ない事情が公開されたこと。
知られたどおりイ・スヨンは幼い時に父親と死に別れた後、歌手デビューを準備中だった高等学校2年生の時に
母親さえ交通事故で失って以後一人きりで弟妹を面倒を見て来た。盆唐にでイ・スヨンと一緒に暮している二人の
弟妹はイ・スヨンがスターというのをどこに行って現わさないほどに静かでおとなしい性格だと言う。
今度大賞にもらった後にも、そんなに「おめでとう」と言う言葉一言伝えただけだと。
イ・スヨンは「私より難しい少年少女家長たちが多い。私はそれでも高等学校2年生の時までお母さんが
いらっしゃらなかったか。本当に大変に暮している友達に比べれば私の苦痛は何でもない」と、このような事実が
目立つことを負担になった。
幼い時から歌手が夢だったイ・スヨンは、盆唐中央高等学校の時には演劇組班長をマッギもした。
イ・スヨンある放送プログラムで当時演劇組担当先生が初恋だったと告白したこともある。
その時、先生が結婚するという消息を聞いて運動場でわあわあ泣いたと。
シチュエーション・コメディー『ノンストップ4』に出演して演技への「技」も披露したイ・スヨンは、特別な演技感覚を
持っているということが周辺の評価だ。ひととき自分のコンサートで果敢な踊りと衣裳を披露して人目を引いた彼女は
「なんでも真似るのが好きだ。他の人々が3日かかることも3時間ならば真似位は出すことができる。
踊りも特別に学ばなかった」と言った。
しかしイ・スヨンのセクシーな「変身」に対して先輩歌手シン・スンフンはひりひりする忠告をしたりした。
普段イ・スヨンを惜しむシン・スンフンが当時「お前はバラード歌手ばかりしなさい。歌うのに専念して見せることに
アピールしようと思うのないでね」は愛情のこもった叱責をしたこと。もちろんここに対してはイ・スヨンも同じ考えだ。
普段イ・ウンミを尊敬して来たイ・スヨンは「ひたすらに歌手にした井をほる」と言う覚悟を明らかにした。
イ・スヨンは考え外で多様な分野の人物たちと親しみを積んでいたりする。張陣映画監督とは「近所の人」で
縁を結んで長監督が演出した「ムッチマファミリー」のOSTに参加したし、コンピレーションアルバム『哀愁』作業の時
会ったイ・ヨンエとも大事な縁を作った。イ・スヨンが2集活動をして過労で病院に入院した時、イ・ヨンエが見舞いに
来てくれた有り難かった記憶のため、このごろ「大長金」は必ず取りそらえて見ていると言う。
また79年生まれの同い年であるイ・ヒョリ、カンタ、シン・ヘソン、イ・ジフン、パク・ギョンリム、ソン・シギョン、
アン・ジェモ、イ・ギチャン、キム・ドンワンなどが集まって作った「79クラブ」活動も絶えず持っている。
それぞれ忙しいスケジュールのため、定期的に会うことはできないが、間が明き次第に連絡して
お酒も飲んでお互いにモニターもしてくれると。特に同じ宗教(キリスト教)を持っているイ・ジフンとは
馴れ馴れしく過ごしているサイダー。
アメリカ留学中であるパク・ギョンリムが、去る夏、極秘裏(?)帰国した時は、この間発売されたリメイクアルバム
『クラシック』に収録する曲を一緒に論議したりしたの。歌『沼』は、当時パク・ギョンリムの「強力推薦」で
アルバムに載せられるようになったと。ファンに対する贈り物で売り出したアルバム『クラシック』には
イ・ムンセの『光化門恋歌』、ピノキオの『愛と友情の間』、ゾドックベの『夢に』、心受峰の『あの時その人』の他に
去年のクリスマスコンサート時の動画も収められている。
今「歌手王」というタイトルまで得たイ・スヨンがこれから成したいもう一つの夢は何だろう。
去る一日を誰より忙しく送った彼女は、もう海外路活動舞台を広げる計画だ。来る2月7日と8日アデューコンサートを
最後に、しばらく日本で活動する予定。去年ソニーミュージックと結んだ契約どおり、2年の間
日本で
シングル2枚と正規アルバム1枚を出す計画だと言う。
このためイ・スヨンはこの頃 日本を行き交してジャケット撮影をするなど、アルバム準備に余念がない。
彼女は「もっと広い舞台で認められたい。しかし新人の姿勢に走るつもりだ。結果が良ければ良いが
成功のために行ったのではない」と言った。
挑戦するために去ると堂堂と言うイ・スヨン。最後に彼女は日本に成功的に進出したBoAに対しても一言「評価」を
付け加えた。
「本当に感心です。その人私どおりの色で成功をおさめたでしょう。しかし、その人気が羨ましいのではないです。
私は私なりに熱心にやって見るつもりです」